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出し惜しみ禁止令

「自分が自分らしく生きるって、どういうことかなー」と常日頃ぼんやり考えています。

 

それで、出た答えの一つがコレ。

 

自分らしく生きる ってことは結局

→ 自分らしさを発揮する ってことは

→ 自分の力を出す ってことは

→ 自分ができることをやる ってことは

→ 活躍できる場が必要 ってことは

→ 自分が何ができるのか、何が得意か、何を考えているのかを周囲にも知ってもらっておいた方がいい ってことは

→ 自分の考えや思いを吐露・発信しておくといい ってことは

→ 自分の思考や考えや行動を、溜めない躊躇しない出し惜しみしない

ってことじゃないかなーと。

 

 

例えば・・・

わたしの部屋、ぶっちゃけるとモノが溢れています。

好んで溜め込んでいるものと、
なかなか捨てる決心が付けられずなんとなく置ているものがある。

 

そしてミニマリストの生活に長年憧れています。

シンプルなリビングの画像
PhotoACより

 

・・・憧れているだけで何もしていないから、今日も部屋にはモノが溢れているんですけども。

 

「そうしたいなら、すればいいじゃん」

てことなんですよね。

 

 

例えば、死ぬときに

後悔がなさそうな死に方を考えてみると

「やりたいことはやった」

「やれることはやった」

と思えるかどうかだと思うんです。

 

 

それって

「やりたいなー」

「できたらいいなー」を

溜め込まずに発信しつつ、周囲の協力をバンバン経てやっていけばいい、というだけなんですよね。

 

 

やりたい なら やる。

やりたい から やる。

 

モノに溢れた部屋を変えたいなら、捨てて整理するしかない。

やりたいことがあるなら、やればいい。

  

 

一人で出来ないことは、人の力を借りればいい。

 

もちろん自分も「やれるときは、無理のない範囲で」誰かを手助けすればいい。

 

 

ビジネスも人生も、人との関わりの中で生まれている。

結局は、助け合いの世界なんだし。

 

 

 

 

じゃあそもそもなんで溜め込んでしまうのか、というと

モノの場合は、

「ないと不安」

「備えあれば憂いなし」

「いつか使うかも」

「まだ捨てるほど汚れてない・壊れてない」

「せっかく手に入れたのに、手放すのが惜しい」

「まだ使えるし、もったいない」

があるから。

 

 

思考の場合は

「まだ途中の考えだから」

「まだなんとなくだから」

「もうちょっとちゃんと準備出来たら」

「やる!と決心が固まったら」

「時間ができたら」

「変って笑われたらヤダな」とか

そんなことを考えて、話したり、言語化することに躊躇しちゃう。

 

 

そうしているうちに

わたしの部屋がどんどん圧迫されて、動きづらく、探しづらく、使いづらく、わたしの足を引っ張っることになっていく。

わたしの「やりたい」というキラキラでピュアな思いが、しぼんだり、くすんだり、霞んだりしちゃう。

 

 

どっちが勿体ないんだろう。

 

誰もが「今この時」を生きてる。

未来も過去も、想像の中にしか存在しない。

 

 

「今」が積み重なって、想像しえなかった未来にたどり着くことがある。

過去を振り返って、「意外なルートを通ってきたな」と思うことがある。

  

 

「今」を大事にしない人が、人生を「後悔なく」終えられるかな?

 

今、何かを出し惜しみをする人が、豊かさを手に入れられるかな?

 

1人で溜め込まず、考え込まず、どんどん手放して、どんどんシェアして、どんどん循環させていこう。 

 

増えた体重も、食を溜め込んだ結果。

動いて消化していけばいい。

これもひとつの循環だと思う。

 

 

それに、溜め込む、ということは、ナニカが停滞する、ということ。

 

思考、モノ、脂肪(カロリー)、お金、人間関係、ビジネス・・・

 

独り占めって、ちょっとダサい。

 

出して、動かして、循環させていこう。

 

 

幸せは、いつだって自分から始められる。

 

溜め込みNG。

ふっと湧いた想いを大切にしていこう。

 

その「湧いた想い」が、何より「自分らしさ」を創っていくのだから。

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