Netflixで気になっていた映画を見ました。
主演:長澤まさみ
監督・脚本:大森立嗣
直後の感想は
「うーん、なんだかなぁ」というスッキリしない感想を持ちました。
なんでそんな展開になるの?
もっと他に選択肢たくさんあったよね?
もっと早く抜け出せたよね?
なんでこんな結末なの?
よー分からん!!
だいぶモヤつく映画でした。
見終わってから公式サイトを見てみたら、これ、実話を元にした映画だったんですね。
公式サイトはコチラ↓
実話が元なのか・・・。
やりきれないことがたくさんあるけど、これが事実だったんだ・・・。
だからスッキリしない展開なのか、そうか・・・。うーん。。。
ネタバレあり勝手解釈
(注)ややネタバレしてます。
行く先々で、男たちと体を重ね、罪を重ね、その場しのぎで暮らしていく秋子(長澤まさみ)。
自分の子どもである周平(奥平大兼)を、自分に都合のいいように使っていく。理不尽な要求でも、秋子に従う周平。
なんだろう、なんでこうなるんだろう?がオンパレードだったけど、わたしの勝手解釈だと・・・
秋子も、周平も認められたかったんだろうなぁというところで腑に落ちました。
認められていないから、存在を認めて欲しい。
秋子は親に、男たちに。
周平は母親に。
セックスって他人との濃厚接触だから、「自分の体」というものを強く認識させられるよね。行為そのものも「繋がり」を意味するし。
だから男たちと体を重ねることが、秋子にとっての社会との繋がりだったんじゃないかなぁ。
それは何のためか?は、もしかしたらやっぱり彼女なり「子供を守りたかった」のかも知れない。
自分が生んだ、自分の分身である子供たちも「繋がり」を象徴するものだから。
自分から手離したくなくて、周平と一緒に居たいからこそのアレやコレだったのかもしれないなぁ。
秋子が周平にさせていたことも、自分の手を汚したくないから、ではなくて、自分と繋がらせておくために、共同体でいたいがゆえだったのかも知れない。
事件を起こすようないわゆる悪い人って、ある日突然生まれる訳じゃないんですよね。
ほとんどが、「周りの人との関わり」の中で、そういう風に変化してしまうんだと考えます。
だから関わり方で変えられるはず。
何か問題が発生した時に、周りがいつまでも「見てみぬふり」「他人事」「我関せず」なら変わらないんだろうなぁ。自分が普段周りの人たちとどう関わっているのかも少し考えさせられました。
承認欲求は奥深い
今ちょうどマズローの本を読んでいるんですが、認められたいという欲求は生きて行く中で切り離せないな、と感じています。
ちょっと想像しただけでも、やることなすことが人から認められないのだとしたらツライ。
「自分で自分を認めればいいんだよ!」ていうのも理解できるし分かるし「それはそう」なのだけど、自分で自分を認めていたとしても、他者からの承認が全くない状況ってやっぱりツライんじゃないかな?て思うのです。
『 人の悩みのほとんどは、人間関係に関するもの 』という話をどこかで聞いたことがある気がするのですが(超曖昧)、それもじっくり探れば「互いに承認し合えるか」というところに行きつくような気がします。
マズローの5段階。
あの三角形の図しか知らなかったけど、知るほどに深く面白いです。
映画はいいな
Netflixなら「作業時のBGM代わりに使えるな」って気づいたんで、これからはどんどん見て行こうと思います。
セミナー動画や学び系は、じっくり集中して見たいタイプなので流し見がしづらいのですが、映画なら作業中にちょうどよさげ。
映画館もたくさん通おう。
創造・芸術・文化にたくさん触れていこう。